【みねたのあいうえお】

さ サムライブルー
新しく発表されたサッカー日本代表のユニフォームは「サムライブルー」と呼ぶには色が暗すぎる。スタジアムの雰囲気は随分と重くなりそう。


し しあわせ
知らん。木村カエラちゃんの「happiness!!!」は大好き。物凄く好き。


す スメルズ・ライク・ア・ヴァージン・ツアー
行ってよかった。ほんとによかった。


せ 青年団
吉祥寺シアターで青年団「ソウル市民 昭和望郷編」を観劇してきた。すばらしかった。
最後に青年団を生で観たのは8年前とかになるから、また巡り会えたような嬉しさでいっぱいで帰りの中央線が愉快だった。
まみさんお疲れ様!


そ ソル・ギョング
海外で好きな俳優はソル・ギョングとドニ・ラヴァンだ。まなざしが、いいのだ。






た 大事なひと
1996年。俺は高校を卒業し、山形を出た。
大学生となった俺は千葉県千葉市千城台(ちしろだい)という町でひとり暮らしを始めた。
やがて俺はそこでバンド結成を志し、曲づくりを始めるわけなのだが、あるひとりの男との出会いがなければまた違った未来が待っていたはずだろう。

先輩に紹介されたバイト先の焼き肉店。
緊張しながら門戸を開くと笑顔で迎えてくれた店長と、その隣りに軍パンに眉無しスキンヘッドの、見るからに怪奇な青年。
名を有馬といった。怖かった。背が高かった。いつか殴られると思った。
休憩中、所在なく外で煙草を吸っていると有馬さんが話しかけてきた。
「峯田くんて音楽好きなんだって?」。
その時の彼の優しい笑顔は今でも忘れられない。
それから俺は毎日有馬さんを求め、シフトが入っていないときでさえ焼き肉屋に顔を出しては店を手伝った。
男の勝負は一瞬で決まる。
きっと俺は、話しかけられたあの瞬間に彼に魅せられ、師とも呼べるべき存在を発見したのだろう。
謎多き有馬さんだったがどうやら年齢は31(当時)。
地元は埼玉だが十代で家を捨てホームレス暮らし。
友人宅を転々とし、流れ流れて知人だった店長のとこで働いている。
彼は俺のことをとても可愛がってくれた。そして10以上も年が離れているにも関わらず、青二才の俺の減らず口さえも尊重してくれた。

フェリーニ映画。日本のハードコアという音楽文化。チャップリン。インダストリアル。三島由紀夫。キューブリック。ノイズ音楽。地下演劇。異性に恋をする事。歌うという事。
すべて有馬さんに教わった。
有馬さんがいたから俺は峯田和伸でいられたんだ。

あれから随分と時間が過ぎた。
俺以外の銀杏メンバーは何度か中野の練習スタジオで有馬さんと偶然会ったらしい。
新しいアルバムが完成したら俺は12年会えていない有馬さんに手渡しで贈るつもりなのだ。


ち チンくん
チンくんの事が好きすぎて、ちょっと、ギュッてしたいかも。。


つ 突きつめる
無理に突きつめると圧縮され、煮こごるので、ケツでも出して粘るだけ。


て Delonghi
デロンギのコーヒーメーカーでつくる起き抜けの一杯は何ものにも代えがたいひとときとなった。大人じゃん!!と自分でおもう。


と ドビュッシー
「月の光」を、ヘッドフォンで、真夜中の黒い海をゆっくりと進むフェリーの甲板で聴いてみたい。


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